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ハガクレ

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蘇我氏邸!?

先日もブログに書きましたが、蘇我入鹿の邸宅跡が日本書紀の記述とあっているとか!

日本書紀にそんなコトかいてあったんだ・・・

コレは歴史的にスゴイことだよねっ

蘇我入鹿の家だよ!?何か出てくるかなぁ?

以前、長屋王の邸宅が発見されたときも「すごいなあ」と思ったけど、今回はそれ以上だ!

見学会があるらいし。行きたいーーー

以下、ヤフーのトピックスを書いときます
(すぐ消えちゃうので)

*
奈良県明日香村川原の甘樫丘東麓(あまかしのおかとうろく)遺跡で、7世紀の掘っ立て柱建物跡5棟が出土したと、奈良文化財研究所が13日、発表した。

 研究者らは、大化の改新(645年)で暗殺された飛鳥時代の大豪族、蘇我入鹿(いるか)の邸宅「谷(はざま)の宮門(みかど)」の可能性が高いとみている。建物が甘樫丘に入り込んだ谷を大規模に造成して建てられ、焼けた壁土なども見つかったことが、「日本書紀」の記述と一致した。古代の豪族支配を象徴する蘇我氏と、国家の大改革を導いた大化の改新の実像に迫る一級の資料として注目されそうだ。

 現場は甘樫丘の東麓で、入鹿暗殺の舞台となった飛鳥京跡の北西約600メートルの地点。蘇我氏が建立した日本最古の寺、飛鳥寺からは南西に約600メートルの位置にあたる。背後の尾根を登れば、入鹿が殺害された飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)をはじめとする歴代天皇(大王)の宮殿が造られた飛鳥京跡が眼下に広がる。

 同研究所が約730平方メートルを発掘したところ、建物5棟分の柱穴と長さ12メートル以上の塀の跡が見つかった。うち1棟は幅10・5メートル、奥行き3・6メートルの規模で、直径20〜30センチの柱穴が並んでいた。柱筋に沿った溝(深さ20〜30センチ、幅80センチ)には、7世紀前半の土器や、焼けた壁土や炭が埋まっていた。

 これらの建物は倉庫などとみられ、母屋にあたる主要な建物は、さらに東側にあると予想される。現場のすぐ南の斜面でも1994年の調査で、焼けた壁土や建築部材、土器が出土していた。

 「日本書紀」には、644年11月に「蘇我大臣蝦夷(おおおみえみし)と、子の入鹿は家を甘樫丘に並べ建てる。大臣の家は上の宮門、入鹿の家は谷の宮門という」という記述があり、翌645年6月に入鹿が暗殺された翌日、蝦夷が自邸と入鹿邸に火を放って自害したと書かれている。

 研究者の中には「主要な建物が見つかるまで断定できない」との慎重意見もあるが、同研究所は、周辺に母屋や「上の宮門」などがあると推定しており、来年度以降も調査を続ける。

 現地見学会は16日午前10時〜午後3時。

 和田萃(あつむ)京都教育大教授(古代史)の話「大化の改新は強大な権力を持っていた蘇我氏が滅び、天皇家が律令体制を固める契機となった古代国家最大の政争。その舞台の一つが発見されたのは、歴史の解明に結びつく非常に重要な成果だ」
(読売新聞) - 11月14日3時7分更新
日本の歴史のこと11.15(Tue)22:36コメント(0)トラックバック(1)Top↑
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#13 蘇我氏の邸宅発見?

14日付毎日新聞が報じているが、奈良県明日香村の「甘樫丘東麓遺跡」から、蘇我一族の邸宅と見られる建物跡が見つかったらしい。今更説明するまでもないが・・・蘇我氏といえば、稲目→馬子→蝦夷→入鹿と続く権勢を誇った一族であり、聖徳太子の姻戚(+血族)でもある。 .....続きを読む
2005.11.16(Wed)09:13|時評親爺Top↑

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